発表

2A-067

物語におけるくり返し構造は結末を予測させるか

[責任発表者] 井関 龍太:1
1:大正大学

 昔話や民話などの古典的な物語では,同じようなエピソードがくり返し現れることが少なくない。たとえば,『三匹の子豚』では,子豚たちが藁の家や木の家を作るたびに狼が吹き飛ばしてしまう。狼は三匹目の子豚が作ったレンガの家も同じように吹き飛ばそうとするが,うまくいかず最後には降参するといった類の話である。昔話や民話で三度のくり返しが頻繁にみられることは口承文芸の研究においてよく指摘されている(小澤, 2010; リュティ 小澤訳, 2017)。そうした議論によれば,くり返しはたとえ異なる登場人物によって演じられたものであっても,同じエピソードの異なる可能性をたどったものであるとされる。つまり,くり返しに現れる登場人物は本質的には置き換え可能な存在だが(三人の兄弟など),同一人がすべての可能性を経験することが不自然であるという理由から何らかの区別が設けられたものと考えられる(末の弟だけが怪物を打ち負かすなど)。また,くり返しなされる試みを通して最終的には主人公が成功を収める話型であるとも論じられる(関, 1955)。これらのことは,三度のくり返しには物語のその後の展開を期待させる働きがあること,その働きは登場人物の異同に関係することを思わせる。
 本研究の目的は,物語における三度のくり返し構造がエピソードの結末を予測させるのかを検討することである。三度とも同じ登場人物がエピソードの核となる行為を担うときには同じ結果が,それぞれ異なる登場人物が行為を担うときには異なる結果が得られると予測した。同じ登場人物が続けて行為を行うときには異なる結果が得られることを期待する理由はないのに対して(桃太郎がきびだんごを与えたら雉も家来になるだろう),登場人物が変われば異なる結果が得られることを期待する理由があるだろう(意地悪爺さんはやさしい爺さんのようには褒められないだろう)。このことを確かめるため,実際に語られた民話において期待するようなパターンの展開が多く見られるかを調べた。 方法 分析対象 岩波文庫の『ハンガリー民話集』(オルトゥタイ 徳永他訳, 1996)を分析対象として選んだ。この本にはハンガリーで収集された口承民話が43話収録されている。この本を選んだのは,三度のくり返し構造が多く見られるとの風聞を耳にしたためであった。各物語は2から15ページにわたり長さはさまざまであった。 手続き 各物語について,{同じ・異なる}登場人物が同じまたは類似した行為を{同じ・異なる}対象に三回行ったことが明示的に述べられた場合に三度のくり返しありと判定した。記述の長短や行為に決まり文句が伴うか否かは考慮しなかった。また,二度のくり返しは除外した。三度のくり返しはひとつの物語に複数回みられることもあった。これらはそれぞれ別の三度のくり返しとして数えた。43の物語のうち,三度のくり返しが0回のものが18,1回のものが14,2回のものが10,3回のものが1であった。合計37の三度のくり返しについて,(1)エピソードの核となる行為を担う登場人物が三度とも同じか,少なくとも最後は異なるか,(2)1回目かつ/または2回目と最後の3回目の結果(outcome)が同じか異なるかによって分類した。ここでいう結果とは,試みに対して成功か失敗かの観点で評価した。つまり,探し物を探したけれども見つからなかったなら失敗で,見つけたら成功である。三度とも成功または失敗であれば結果が同じ,三度目は異なるなら結果が異なるものとみなした。 結果 三度のくり返しについて, Table 1 各種の三度の
(1)同じ人物か(2)同じ くり返しの頻度
結果かを判定し,各セルの 同じ 異なる
頻度を集計したものをTable  単一 14 11
1に示した。Fisherの正確  複数 5 7
確率検定の結果,セルの頻度について有意な偏りはみられなかった(p = .50, 95%CI = [0.36-9.17], オッズ比 = 1.75)。したがって,三度のくり返しにおいて同じ登場人物が行為を担うことと最終的な結果の間には関連があるとは言えなかった。 考察 『ハンガリー民話集』において三度のくり返しの例を豊富に見ることができた。しかし,登場人物の一貫性とその後の展開の間に明白な関連性は見いだせなかった。この結果がある程度一般化できるものだとすれば,以下のように解釈できる。口承文芸においては,逐語的な同一性を順守することが重要なのではない。そのときどきの文脈によって固有名詞や道具が入れ替えられたり,展開を簡略化したりふくらませたりすることは一般的である(プロップ 齋藤訳, 2009)。どちらかといえば,そのようにして聴衆を楽しませることに物語の意義がある。そのような視点から見ると,三度のくり返しにおいて登場人物の同一性のみによって結末が決まるとしたら,それは興を削ぐことになる。同じ展開なのだから同じ結果になるのか,同じ展開なのに違う結果になるのか,先が読めないほうが面白いはずである。実際に多くの例を検討することによって,三度のくり返しは,かなり簡略化することも,決まり文句や様式的な描写を加えることで詳細に語ることもできる,物語の本筋にとっては付随的な部分であることがうかがえた。聴衆を引きつけることに眼目があるのだとすれば,三度のくり返しとは,くり返すことによってかえって不確実性を増すしかけなのではないだろうか。現実世界では,同じ条件がそろえば同じできごとが起こるはずである。しかし,物語には語り手の意図がある。三度のくり返しを読み手の興趣の観点から見直すことでその構造的な意義を実証的に明らかすることができるのではないだろうか(Gerrig, 1993)。※本研究は科研費JP17K18620の助成を受けたものです。

キーワード
物語/くり返し構造/結果


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