発表

2D-018

復興過程における〈不在〉の知覚について
震災後に撮られた写真を題材にして

[責任発表者] 宮前 良平:1
1:大阪大学

 本発表では,東日本大震災からの復興過程において,<不在>を感知することに焦点を当て,震災をめぐる記憶と写真の様相について考察し,実践的知見を創出することを目的とする。
 心理学における記憶概念・想起概念は,日常の実感からかけ離れつつある。心理学において記憶研究は盛んになされてきたが,その主流はいまだに「記憶の二重貯蔵モデル」(Atkinson & Shiffrin, 1968)を基盤に置いた認知モデルである。この記憶の認知モデルにおいては,記憶とは「状況に依存しない一般性を持ち,なおかつしばらくは否定されそうにないもの」(Cohen, 1985, p.252)であり,想起とは記憶に関する多くの人間に当てはまる情報処理のモデルにほかならない。しかしながら,私たちは,日常の想起において想起するとき,その記憶は状況に強く依存しているし(プルーストが紅茶に浸したマドレーヌを食べたときの想起!),何が思い出されたかというよりも,それを思い出した時の感触はどうであったかということに記憶の価値を見出すことも多い。
 本発表では,このような記憶の感触をより切実に感じていると考えられる東日本大震災で被災された方々が,震災前のなにげない日常の記憶とどのように向き合っているのかをいくつかの写真を参考にしながら論じていく。本発表では主に2つのインタビューを題材として挙げる。1つ目は,2017年6月10日に行った,宮城県南三陸町で震災前から地域の写真店の店主として街を撮り続けてきた佐藤信一氏へのインタビューである。信一さんは,震災後,津波で被災した街の様子を撮り続け,5冊の写真集を出版している。2つ目は,2017年6月12日に行った,佐藤正実さん,大林紅子さん,工藤寛之さん,天江真さんの4人へのインタビューである。正実さんは,NPO法人「20世紀アーカイブ仙台」の副理事長であり,2016年に同NPOの震災アーカイブ部門から独立した「3.11オモイデアーカイブ」の主宰でもある。そして,大林さん,工藤さん,天江さんは,「3.11オモイデアーカイブ」の「常連さん」である。本発表に際して,研究協力者の方々からは,実名の公開を了承いただいている。
 インタビューの結果,震災後の写真には2種類あることが明らかになった。1つは,「なくなったものが写っている写真」である。たとえば,図1の写真は,仙台市の沿岸部荒浜地区の震災前のとあるバス停の写真である。図2の写真は,インタビュー2でお話を伺った大林さんの故郷である石巻市のメイン通りの震災前の写真である。二つとも震災によって無くなってしまった。このような写真に対して,大林さんは,「これ,ここに写っている景色は全部もうないんですけど。何が一番胸に来るのかって,わたしあの,このメインの通りを撮った写真なんですけど,この風景は二度と視れないんですよ。この写真が私にとっての一番です。これを見ると全部思い出すんです。この日本製紙に勤めたことがあるってのもあるんですけど,ここに本屋があって,鮨芳があって,ちょっと行ったらお堀があってって記憶が芋づる式に出てくるんですよ。おそらくこの写真見せたら反応する人山ほどいると思いますよ」と語った。もう1つの写真は,「〈不在〉の写真」である。たとえば,図3の志津川駅の駅舎の跡地の写真は,駅舎が写っていないにもかかわらず,駅舎の姿を強く喚起させる。信一さんは言う。「ここで育った人間であれば,やっぱり,そういう「幻想」というか,そういうのは見えてくるはずだよ」。
 <不在>とは,「すでになくなっている」ことを覚知することで,かえってその存在をありありと知覚することである。写真とは,通常,現実世界に存在するものを写し取るものである。しかしながら,この「現実にある―写真に写っている」関係が成り立たない写真もある。「現実にはない―写真には写っている」,つまり「なくなったものが写っている写真」と,「現実にはない―写真にもない」つまり,「〈不在〉の写真」である。本発表では両者の反転などについてより深く考察していく。

キーワード
復興/記憶の存在論/〈不在〉の写真


詳細検索